Homo rehabilis【6】春の記憶:物語の重力
人が変わる、ということばがある。人は変わる。いつでもそう言い切ってしまって、どこにでも起こりうる出来事のひとつに話を纏 めあげてしまうのはたやすい。けれども、人が変わることと、人は変わるものだ、という言葉のあいだに浮かぶ不可思議な空白、それをたやすく視なかったことに今はできない。〈物語〉の余白と、現に目の前にある奇妙な空白とは、双子の様な顔つきのあくまで遠く隔たった白さの印象であり、〈物語〉の重力を逃れたいのだと足掻く私は、今はただ、このからだを味わっていようと決めて息づく。
山の木々は冬から春へ、その姿をめまぐるしく震わせ、花が咲いては散ってゆく、草木の青があざやかに萌えたっては響くいのちの震動はたしかに、物事の変化をみちびく。そのなかで、人は変わる。季節の変化、変遷に視られるものごとのしくみは常に新鮮であり、〈物語〉がそれをどれだけ手の内に治めようとしても、枠を当てがえばすぐさまその枠は季節に侵食される。変化と不変をその一身にあわせもつ自然は、自由ということばですらたやすく束縛することはできない。
久しく離れていた〈物語〉を読む行為を、なぜだかこの春にすることとなって、〈物語〉の重力を逃れようと、それを喰い破ろうとしているちからが、〈物語〉の自由にのみこまれてしまう姿を視た。故中上健次の小説『岬』を、十数年ぶりに読み直してたしかに視たのは、常に新鮮でありたいと願うひとりの青年をのみこんでしまった、人を豹変させ、その豹変をひとつの出来事にまとめあげようとしている〈物語〉の自由である。
或るきっかけが元で、主人公の姉の「人が変わる」。〈物語〉はその変化を、あたかも予定されていたかのように、のがれ難い出来事として印象づけようと働く。この働き、重力のうごきを、三十数年ここまで生きてきた俺も視たことがあるのだ、と私はここで思う。目の前で幾人かの人物の「人が変わり」、それに前後した会話に含まれる不可思議な空白、違和感を、いつでも・どこにでも起こりうる出来事のひとつとして纏めあげようとする力が働いているのを、たしかに視てきた。
その力は、水の流れ、風にゆれる雲のうごきにも働きを及ぼし、いま現に、この文章を書いている僕自身にも強く働きかけをつづけている。それは電磁波による体への影響に似ている、と言うことも、できるのだけれど、「電磁波による体への影響に似ている」というそのことば自体が、すでにその力の働きかけによって歪み、纏めあげられてしまう、この物事のうごきそれ自体を捉えてほしい、と僕は願う。「人が変わる」ことと、「人は変わる」ことのあいだにある、不可思議な空白。いつでも僕たちを纏めあげてしまおうと身を秘 めている〈物語〉の重力。自然を視る眼の、ひとそれぞれがもつ差異と差異の行間、僕自身であるということばと、僕自身であろうとすることの間に生じる幽かな空白のなかに、自由という名で呼ばれることもあった、自然の孕む奇妙な錯覚の迷宮がある。
かつてこの世に存在していたひとりの青年、中上健次は、彼の時代を象徴する小説家となることを選び、自らの因 ってたつ土地や、因習、近親者の死というなまなましい過去を、のがれ難い出来事として〈物語〉化してゆくことを通して、その錯覚のなかに呑み込まれていってしまった、ように、僕には思える。初期の小説『眠りの日々』のなかで、「電波で指令が来る」とわめいては暴れ、そのはてに首を吊り、若死にしてしまったアルコール中毒の青年として描写されていた彼の兄は、作家が選びとった〈物語〉の力によって、夭折を宿命づけられた、聖なる血族の系譜につらなる架空の人物に変貌してゆく。
けれどもそれで、何が変わったというのか。青年はひとり、物語の余白の彼方にとりのこされる。『岬』と同じ青年を主人公に据えた、一連の作品群のひとつの解答にあたる小説『地の果て、至上の時』に記された「否定のことば」は、〈物語〉化された自然の孕む「不自然」への、常に新鮮でありたいと願った青年の、記述された最期の反抗の声だったように、僕には思える。その後の彼は〈物語〉を、そして彼自身を超えることができただろうか?
僕はいまも、中上健次の遺したいくつかの鮮烈なエッセイの彼方に、〈物語〉の重力に囚われることのない事実の――自然の、たしかな可能性の道筋を眺めている。春は今も春としてあるが、どの春もまた、春を超えている。いや、春を超えていくのだ、と言いたい。私たち、僕たち、あるいはその奇妙な〈物語〉の力をも含めて、自然は常に変わらず自ずから新鮮でありつづけることを、望んでいるのだ。常に変わらず自ずから新しくあれ、と。
その本は壁に埋めこまれた和箪笥と壁とのあいだの、用途の覚束ない物置のような闇に置き忘れ去られて、埃をかぶった段ボール箱のなかにしまわれてあった。その段ボールを、がさごそ喰いちぎっては運ぶ深夜の氣がかりな音で鼠が、いま、その本を読むのが良い、と促すから、私は今日も何となく妙な氣分で、〈物語〉を読む行為をつづける。
昨日の快晴から変わって、今日は草木の待ち望んでいた雨が降る一日。寒さの厳しかったこの山の冬を、どうにか乗り越えてのびる小麦の、幾分乾 あがって黄色味をおびたその葉もこの雨でいのちをつなぎ、種を遺してくれると良い、と願う。ほんの一瞬ながら耳にしていた蛙の、ケロロロ・・・・・・と鳴く声を思い出して、天氣が変わる、そのことに何の予兆もないことはまずない、とたしかに思う。天氣は変わる、けれどもそこに豹変はない。話の聴き方をほんの少しでも心得て、ほんの少しだけでも心がけていれば、自然は常にいまこの瞬間の変化を示しつづけているから、そこに豹変はない、ということだけは知られる。そのことを、この数年かけて学んだ。
夜の鼠とそんなぐあいの雨の天氣にうながされて、沖縄出身の作家、目取真 俊 の小説『魂込め 』を読む。古書店で何となく目にして買ったこの作家の書いた本は、この時はまだ、他には読んだことがなかった。その名前は、本を買い、読まずに忘れてしまうまでの数年間に一、二度、米軍基地反対運動に纏わるニュース記事のなかで眼にしていた記憶がある。
うっすらとした前触れの氣配のなかで、主人公の老婆に近しい男の魂が抜ける。神女 である老婆には、その男のぬけてしまった魂のすがたが見えるし、男の妻や集落の人びとに魂が見えるわけではなくとも、魂が抜けているのだ、ということはひとまず共有されている。だからこそ老婆は、男の魂をその体に呼び戻そうとして拝み、生き霊に話しかけ、男の妻や集落の顔役たちはそのこころみを見守り、待つ。この点では、中上健次の描く『岬』の世界とはあきらかな違いがある。魂がある。魂がある、ということを、自然はただそこに在るのではない、と言い換えてみることも、できるだろうか。
自然をただそこに在るもの、単なる物理現象として眺めることと、霊魂はない、とすることとは、同意義であるように、僕には思える。自然とは、ただそこに在るものではない。自ずから在る、自ずからなる意志をもってそこに在るのだ、と観じてみれば、豹変と感じられる変化の余白のなかに、霊的なうごき、魂としか呼びようもない「何か」のうごきが視えはじめる。
僕にはこの老婆のように、魂がありありと眼に見えた経験はない。ただ、人が何かに憑依されている姿、魂が抜け出ているとしか言えない独特の変化は、この数年の間に、何度か眼にした。ある時、目の前で床に倒れたまま痙攣し「これは通信だ、私はこの男の左腕に這入りこんだ宇宙人だ」と語りはじめる友人。浜辺の潮にさらわれてゆくように急速に言葉を失い、意識がほどけ、あるいは魂が拡散し、植物状態一歩手前まで行ってどうにか還ってきた人の姿。短時間のあいだに性格、感情、言動の指針がころころと入れかわる奇妙な女性たち。そんな極端な例を引くまでもなく、本質的にはほぼ誰もが、日常的に何かに憑依されているのだ、と僕には視える。その「何か」とは大まかに言えば微生物であり、精霊(あるいは神、宇宙人)とは微生物のことである、というのは、話の筋道をつけようとする私の方便、仮定であり、この方便もまた〈物語〉の重力にたやすくとりこまれてしまう。
あるとき出会ったバリ島のヒーラーだという四十代の画家が、片言の英語で「お前は神を視たことがあるか」と僕に尋ねた。若干とまどって、視たことはないが、感じている、と片言の英語で応えた私に、その画家はこれが神さまだよ、とコップのなかを指さす。水。この水が神だ、と言う。水と風と火が、神と呼ばれる存在の根源。そんな風に僕たちは、何氣ない日々のさなかで毎日毎瞬めくるめくほどに神の姿を視ている。
けれども、現代を生きる神女として描かれる『魂込め 』の老婆は、抜け出た男の霊魂を視ることはできるが、出来事の脈絡をみちびくうごきをつかまえ、それと会話を交わすことができない。老婆の声はなぜだか、男の魂に届かない。小説の末尾に記された一句は、そのことを如実に物語るもののようでもあるが、その言葉にはどこか、唐突な印象も覚える。それは老婆の実感ではなく、〈物語〉の収束を迫られた作家の、甘苦い呻きであったのかもしれない。〈物語〉はここでは、中上健次の『岬』の主人公、秋幸をとらえたように老婆をとらえるのではなく、作者目取真俊自身をとらえようとしていたようにも思える。
物語のなかで老婆は祈り、その祈りの行方を、作者は否定的に記した。むしろ、否定的に記すことしかできなかった、というのが、〈物語〉の重力に対する、当時の作者の実感だったのだろう。けれども、老婆の声が、男の魂に届くことはないのならば、作家の声は、誰に届くのか。誰の声が、何処に届くというのだろうか。だからこそ僕は、いま、作者が文末に記した否定とは逆の事実を、老婆のなかに、そして自分自身のなかに見いだしてみたいと祈り、その祈りの行く先を遠く、感じ取ろうとしている。
けれども霊魂、あるいは〈魂〉とはいったい、何なのだろう。魂はある。ふつう、魂は肉体に宿っていると考えられているけれども、僕の実感としてはむしろ、魂のなかに体が含まれている。眼には見えない魂のなかに、体がある。今はまず、〈魂〉は肉体の器である、と仮定して、この話を進めてみたい。
たとえば、「エンパシー empathy」という言葉がある。感情移入。共感。単に表面的な共感をいう場合は、同情や、賛同の意味を含むシンパシーの方が、どちらかといえば近しいだろう。エンパシーは、語の構成(em+pathy)からいうなら「内側に感じる」ことを意味する。自分の内側に、他者を、わかちがたいものとして感じること。そうした内なる実感としての共感能力、エンパシーというものは、誰もが少なからずもっているだろうもので、眼には見えないものごとのうごきである〈魂〉が肉体の器であると考えてみれば、何故それが起こるのかを理解しやすい。ヒトが誰かに共感を覚えるとき、そのヒトは〈魂〉の領域を拡げ、相手のからだをも自らの一部として捉える。
それは、乗り物を運転する際や、包丁などの道具を使う際に対象を自らの一部として捉えることと同じで、肉体の器である〈魂〉は基本的に明確な境界をもたないため、無意識的にさまざまなものを自分の一部として扱う傾向がある。内なる実感としての共感能力、エンパシーとは、共時的なあらゆるうごきを孕む「可能性の複合体」である〈魂〉の、自然な発露であり、僕たちは誰もが無意識的にその力を用い、生活している。小説や漫画といった〈物語〉に、同情をこえた共感を覚えることがあるのも、基本的には同じ原理なのかも知れない。
共感能力、エンパシーによって〈魂〉の領域を拡げ、相手のからだを自らの一部として捉えた場合、相手のからだに生じている感情や、傷み、そこに関連する記憶などが、あたかもわがことのように感じられる。もちろんその際に、相手の〈魂〉のあり方によっては領域を拡げることができず、何も感じられない場合もあるので、どんな時にも同じことが起こるとは言えない。
エンパシーを自覚し、それを意識的に拡張すれば、対象のからだに起こっている病や、何かの不調を意志の力で癒すことができるし、場合によっては相手の行動を縛ることも可能になる。もちろんこれは、無意識的にも起こっている。ある人物の近くにいると心が和んだりするのは、その人の〈魂〉が領域をひろげ、他者を包みこんでいるからだ。
よくよく慎重に眺めてみれば、ヒトは常日頃から無自覚な〈呪術〉のなかを生きている。何をどうしてもうまくいかないことがある際には、自分が何かの〈呪術〉によって縛られてはいないか、慎重に感じ直してみるのも、必要なことだろうと思う。自らのもつ可能性そのものである〈魂〉を自然な状態ではたらかせるためには、受けた〈呪術〉を認識し、考え、精算する意識も大切になる。この〈呪術〉をあるいは今、〈物語〉の重力と言い換えてみることも、できるだろうか。思えば僕がこの〈魂〉の姿を、眼には見えないものごとのうごきとして捉え、凝視し、人を奇妙に変貌させようと蠢く〈物語〉の重力から逃れ出ようと足掻きはじめたのは、いつのことだったのだろう。
その本を、何の前知識もなく「偶然」手にしたのは、大学を辞めたあとだったのか、それとも、読後に受けたうごかしがたい印象が僕の中退をいくぶん後押ししたのだったかは、今となっては忘却の彼方で判然としない。けれども、とにかくその本は僕のその後の行動にある方位を示し、十五年以上の時を経た今、再びその方位を探るために、作者の物した別の著作を少しずつ、翻訳してみている。
今はなぜだか山奥に居る僕も、二十代の半ばに差しかかろうとしていたあの頃は東京に暮らしていて、その時期を象徴する蜃氣楼めいた事件や、濁った空氣がかたちづくる不確かな雰囲氣の渦、それを掻き消そうとして呻 く、とどまることをしらない都会の喧騒に呑みこまれながら、何も見いだすことのできない、ぶざまで漠とした日々を過ごしていた。
誰にも上手く説明できそうにない、若く過敏な皮膚感覚の底で、思えばあの当時の僕はその後に起こるあの三月の惨事を予期していた、のだけれども、当時の僕は今にもまして言葉足らずで、それに確かなかたちを与えることができず、劇を書いても登場人物はほぼ誰もが混沌の渦に呑まれてしまい、小説を書きかけても、誰かが無念をのこすような末路しか見いだせず、だからこそ書き上げることもできず、僕たちに枠をあてがおうとして蠢く〈物語〉の重力にうちのめされた、孤独な都会の若者でしかなかった、ようにも思える。
そんな時分に巡り逢ったのが、進化人類学者ローレン・アイズリー博士(Loren Eiseley, 1907-1977)の自伝的ネイチャー・エッセイ『夜の国』で、エッセイというものの枠を幾つも飛び越えてしまったようなこの不可思議な本は、感性と文章、自分という存在そのもののあり方についての動かしがたい、たしかな手応えを僕に示して見せた。
彼のエッセイは、考古学者としての彼自身の体感、化石を求め、見つめつづけた経験の堆積からもたらされた重層的な皮膚感覚によって導かれただろうもので、ここに示された時間を超えた(共時的な)感性のあり方は、当時の僕にものごとのもつ確かな手触りを感じさせてくれる、数少ないものの一つだったのだと思う。
古さびた一本の骨の化石は、眼の前にあり、手を触れることもできる。けれども、そこに遺された事実――いのちは、数千、数万、数億年以上もの時を超え、計り知ることができないほどに多様な姿へと変化をつづけていく形態の連なりとして、過去と未来に向けて果てしなく、曼荼羅状にひろがっている。僕たち自身も当然、その化石となんら変わりはない。僕たちはその曼荼羅につらなる、変化して止まない姿と姿をつなぐかぼそい生命の糸だ。ここには〈物語〉の重力が囚えることのできない、今といういのちの実感がある。当時の僕にとって、これほど確かに示された感覚の作法はなかったのだと、今になって振り返ってみると十分に分かる。
そして、この実感からみちびきだされるところの重力、〈物語〉の本来のすがたは、単に「通時的な」意味をもつものではない。僕たち自身のいのち、ものごとのうごきである〈魂〉のかたちは、過去から現在を経由して未来へと到る、もはや変えることのできない、のがれ難い一連の出来事であるかのように並置され、固定された、単に通時的な因果を超えたところにある「可能性の複合体」であり、時間という次元に囚われることのない、同時浸透的な、共時的なものとしても存在している。
一つの〈物語〉は、描かれることのなかったいくつもの物語、いくつもの因果の可能性を孕む、曼荼羅状のひろがりとして「ある」。けれどもそれは仮想的なすがたであり、可能性は、単に可能性のままではほんとうの意味で「ある」ことができない。だからこそ自然は、ただ在るのではない。自ずから在る、自ずからなる意志をもった、僕やあなたという実体として、自然はここに存在する。そうして仮想的な〈物語〉が開かれた時、その重力は本来の姿へと還り、通時的な因果を生きる僕たちに、いのちそのものの姿を指し示して見せるだろう。
事物は常に変化をつづけており、固定することができない。固定化されたものごとの姿はある種の錯覚、虚像であり、どれもが幻のようなものだ。こうして方位を示された僕は、傍 から見れば意味がわからない様 ながらも、あたふたとその手がかり、生命の糸を握りしめて、その糸がたゆまぬように羽ばたきつづける僕自身の、僕を引きよせて翔 ぶほんとうの重力――〈魂の鳥〉を見失わないために、二〇代半ばで東京を脱出し、西への移動をはじめた。それはあの三月の惨事が起こる、五年ほど前のことだ。
次へ
山の木々は冬から春へ、その姿をめまぐるしく震わせ、花が咲いては散ってゆく、草木の青があざやかに萌えたっては響くいのちの震動はたしかに、物事の変化をみちびく。そのなかで、人は変わる。季節の変化、変遷に視られるものごとのしくみは常に新鮮であり、〈物語〉がそれをどれだけ手の内に治めようとしても、枠を当てがえばすぐさまその枠は季節に侵食される。変化と不変をその一身にあわせもつ自然は、自由ということばですらたやすく束縛することはできない。
久しく離れていた〈物語〉を読む行為を、なぜだかこの春にすることとなって、〈物語〉の重力を逃れようと、それを喰い破ろうとしているちからが、〈物語〉の自由にのみこまれてしまう姿を視た。故中上健次の小説『岬』を、十数年ぶりに読み直してたしかに視たのは、常に新鮮でありたいと願うひとりの青年をのみこんでしまった、人を豹変させ、その豹変をひとつの出来事にまとめあげようとしている〈物語〉の自由である。
或るきっかけが元で、主人公の姉の「人が変わる」。〈物語〉はその変化を、あたかも予定されていたかのように、のがれ難い出来事として印象づけようと働く。この働き、重力のうごきを、三十数年ここまで生きてきた俺も視たことがあるのだ、と私はここで思う。目の前で幾人かの人物の「人が変わり」、それに前後した会話に含まれる不可思議な空白、違和感を、いつでも・どこにでも起こりうる出来事のひとつとして纏めあげようとする力が働いているのを、たしかに視てきた。
その力は、水の流れ、風にゆれる雲のうごきにも働きを及ぼし、いま現に、この文章を書いている僕自身にも強く働きかけをつづけている。それは電磁波による体への影響に似ている、と言うことも、できるのだけれど、「電磁波による体への影響に似ている」というそのことば自体が、すでにその力の働きかけによって歪み、纏めあげられてしまう、この物事のうごきそれ自体を捉えてほしい、と僕は願う。「人が変わる」ことと、「人は変わる」ことのあいだにある、不可思議な空白。いつでも僕たちを纏めあげてしまおうと身を
かつてこの世に存在していたひとりの青年、中上健次は、彼の時代を象徴する小説家となることを選び、自らの
けれどもそれで、何が変わったというのか。青年はひとり、物語の余白の彼方にとりのこされる。『岬』と同じ青年を主人公に据えた、一連の作品群のひとつの解答にあたる小説『地の果て、至上の時』に記された「否定のことば」は、〈物語〉化された自然の孕む「不自然」への、常に新鮮でありたいと願った青年の、記述された最期の反抗の声だったように、僕には思える。その後の彼は〈物語〉を、そして彼自身を超えることができただろうか?
僕はいまも、中上健次の遺したいくつかの鮮烈なエッセイの彼方に、〈物語〉の重力に囚われることのない事実の――自然の、たしかな可能性の道筋を眺めている。春は今も春としてあるが、どの春もまた、春を超えている。いや、春を超えていくのだ、と言いたい。私たち、僕たち、あるいはその奇妙な〈物語〉の力をも含めて、自然は常に変わらず自ずから新鮮でありつづけることを、望んでいるのだ。常に変わらず自ずから新しくあれ、と。
ただ在るのではないもの
その本は壁に埋めこまれた和箪笥と壁とのあいだの、用途の覚束ない物置のような闇に置き忘れ去られて、埃をかぶった段ボール箱のなかにしまわれてあった。その段ボールを、がさごそ喰いちぎっては運ぶ深夜の氣がかりな音で鼠が、いま、その本を読むのが良い、と促すから、私は今日も何となく妙な氣分で、〈物語〉を読む行為をつづける。
昨日の快晴から変わって、今日は草木の待ち望んでいた雨が降る一日。寒さの厳しかったこの山の冬を、どうにか乗り越えてのびる小麦の、幾分
夜の鼠とそんなぐあいの雨の天氣にうながされて、沖縄出身の作家、
うっすらとした前触れの氣配のなかで、主人公の老婆に近しい男の魂が抜ける。
自然をただそこに在るもの、単なる物理現象として眺めることと、霊魂はない、とすることとは、同意義であるように、僕には思える。自然とは、ただそこに在るものではない。自ずから在る、自ずからなる意志をもってそこに在るのだ、と観じてみれば、豹変と感じられる変化の余白のなかに、霊的なうごき、魂としか呼びようもない「何か」のうごきが視えはじめる。
僕にはこの老婆のように、魂がありありと眼に見えた経験はない。ただ、人が何かに憑依されている姿、魂が抜け出ているとしか言えない独特の変化は、この数年の間に、何度か眼にした。ある時、目の前で床に倒れたまま痙攣し「これは通信だ、私はこの男の左腕に這入りこんだ宇宙人だ」と語りはじめる友人。浜辺の潮にさらわれてゆくように急速に言葉を失い、意識がほどけ、あるいは魂が拡散し、植物状態一歩手前まで行ってどうにか還ってきた人の姿。短時間のあいだに性格、感情、言動の指針がころころと入れかわる奇妙な女性たち。そんな極端な例を引くまでもなく、本質的にはほぼ誰もが、日常的に何かに憑依されているのだ、と僕には視える。その「何か」とは大まかに言えば微生物であり、精霊(あるいは神、宇宙人)とは微生物のことである、というのは、話の筋道をつけようとする私の方便、仮定であり、この方便もまた〈物語〉の重力にたやすくとりこまれてしまう。
あるとき出会ったバリ島のヒーラーだという四十代の画家が、片言の英語で「お前は神を視たことがあるか」と僕に尋ねた。若干とまどって、視たことはないが、感じている、と片言の英語で応えた私に、その画家はこれが神さまだよ、とコップのなかを指さす。水。この水が神だ、と言う。水と風と火が、神と呼ばれる存在の根源。そんな風に僕たちは、何氣ない日々のさなかで毎日毎瞬めくるめくほどに神の姿を視ている。
けれども、現代を生きる神女として描かれる『
物語のなかで老婆は祈り、その祈りの行方を、作者は否定的に記した。むしろ、否定的に記すことしかできなかった、というのが、〈物語〉の重力に対する、当時の作者の実感だったのだろう。けれども、老婆の声が、男の魂に届くことはないのならば、作家の声は、誰に届くのか。誰の声が、何処に届くというのだろうか。だからこそ僕は、いま、作者が文末に記した否定とは逆の事実を、老婆のなかに、そして自分自身のなかに見いだしてみたいと祈り、その祈りの行く先を遠く、感じ取ろうとしている。
肉体の器である魂
けれども霊魂、あるいは〈魂〉とはいったい、何なのだろう。魂はある。ふつう、魂は肉体に宿っていると考えられているけれども、僕の実感としてはむしろ、魂のなかに体が含まれている。眼には見えない魂のなかに、体がある。今はまず、〈魂〉は肉体の器である、と仮定して、この話を進めてみたい。
たとえば、「エンパシー empathy」という言葉がある。感情移入。共感。単に表面的な共感をいう場合は、同情や、賛同の意味を含むシンパシーの方が、どちらかといえば近しいだろう。エンパシーは、語の構成(em+pathy)からいうなら「内側に感じる」ことを意味する。自分の内側に、他者を、わかちがたいものとして感じること。そうした内なる実感としての共感能力、エンパシーというものは、誰もが少なからずもっているだろうもので、眼には見えないものごとのうごきである〈魂〉が肉体の器であると考えてみれば、何故それが起こるのかを理解しやすい。ヒトが誰かに共感を覚えるとき、そのヒトは〈魂〉の領域を拡げ、相手のからだをも自らの一部として捉える。
それは、乗り物を運転する際や、包丁などの道具を使う際に対象を自らの一部として捉えることと同じで、肉体の器である〈魂〉は基本的に明確な境界をもたないため、無意識的にさまざまなものを自分の一部として扱う傾向がある。内なる実感としての共感能力、エンパシーとは、共時的なあらゆるうごきを孕む「可能性の複合体」である〈魂〉の、自然な発露であり、僕たちは誰もが無意識的にその力を用い、生活している。小説や漫画といった〈物語〉に、同情をこえた共感を覚えることがあるのも、基本的には同じ原理なのかも知れない。
共感能力、エンパシーによって〈魂〉の領域を拡げ、相手のからだを自らの一部として捉えた場合、相手のからだに生じている感情や、傷み、そこに関連する記憶などが、あたかもわがことのように感じられる。もちろんその際に、相手の〈魂〉のあり方によっては領域を拡げることができず、何も感じられない場合もあるので、どんな時にも同じことが起こるとは言えない。
エンパシーを自覚し、それを意識的に拡張すれば、対象のからだに起こっている病や、何かの不調を意志の力で癒すことができるし、場合によっては相手の行動を縛ることも可能になる。もちろんこれは、無意識的にも起こっている。ある人物の近くにいると心が和んだりするのは、その人の〈魂〉が領域をひろげ、他者を包みこんでいるからだ。
よくよく慎重に眺めてみれば、ヒトは常日頃から無自覚な〈呪術〉のなかを生きている。何をどうしてもうまくいかないことがある際には、自分が何かの〈呪術〉によって縛られてはいないか、慎重に感じ直してみるのも、必要なことだろうと思う。自らのもつ可能性そのものである〈魂〉を自然な状態ではたらかせるためには、受けた〈呪術〉を認識し、考え、精算する意識も大切になる。この〈呪術〉をあるいは今、〈物語〉の重力と言い換えてみることも、できるだろうか。思えば僕がこの〈魂〉の姿を、眼には見えないものごとのうごきとして捉え、凝視し、人を奇妙に変貌させようと蠢く〈物語〉の重力から逃れ出ようと足掻きはじめたのは、いつのことだったのだろう。
生命の糸
その本を、何の前知識もなく「偶然」手にしたのは、大学を辞めたあとだったのか、それとも、読後に受けたうごかしがたい印象が僕の中退をいくぶん後押ししたのだったかは、今となっては忘却の彼方で判然としない。けれども、とにかくその本は僕のその後の行動にある方位を示し、十五年以上の時を経た今、再びその方位を探るために、作者の物した別の著作を少しずつ、翻訳してみている。
今はなぜだか山奥に居る僕も、二十代の半ばに差しかかろうとしていたあの頃は東京に暮らしていて、その時期を象徴する蜃氣楼めいた事件や、濁った空氣がかたちづくる不確かな雰囲氣の渦、それを掻き消そうとして
誰にも上手く説明できそうにない、若く過敏な皮膚感覚の底で、思えばあの当時の僕はその後に起こるあの三月の惨事を予期していた、のだけれども、当時の僕は今にもまして言葉足らずで、それに確かなかたちを与えることができず、劇を書いても登場人物はほぼ誰もが混沌の渦に呑まれてしまい、小説を書きかけても、誰かが無念をのこすような末路しか見いだせず、だからこそ書き上げることもできず、僕たちに枠をあてがおうとして蠢く〈物語〉の重力にうちのめされた、孤独な都会の若者でしかなかった、ようにも思える。
そんな時分に巡り逢ったのが、進化人類学者ローレン・アイズリー博士(Loren Eiseley, 1907-1977)の自伝的ネイチャー・エッセイ『夜の国』で、エッセイというものの枠を幾つも飛び越えてしまったようなこの不可思議な本は、感性と文章、自分という存在そのもののあり方についての動かしがたい、たしかな手応えを僕に示して見せた。
彼のエッセイは、考古学者としての彼自身の体感、化石を求め、見つめつづけた経験の堆積からもたらされた重層的な皮膚感覚によって導かれただろうもので、ここに示された時間を超えた(共時的な)感性のあり方は、当時の僕にものごとのもつ確かな手触りを感じさせてくれる、数少ないものの一つだったのだと思う。
「私について何かひとつだけ奇妙なところをあげてみるなら、それは私の職業だ。私は偶然にも、この地球という惑星の上の遠くはるかな人類の歴史以前、かつてダーウィンが「大いなる主題」と呼んだそれを追い求める、数少ない人びとの一人になってしまったらしい。けれども私の仕事は、歴史書の公的な手法とは趣きが異なるものだ。その見本にたとえば、今日の事をとりあげてみよう。
私は今日、ある街の廃墟のなかを歩いてきた。この街はしかし、いまもまだ活動している。それは間違いのないことだ。いくつものエアードリルが鉄に突きあたっては鳴り響き、私は笑い声や、傍らを駈けぬけてゆく昼時の急 いた足音にも氣づいている。けれどもやはり、街は荒廃のなかにある。この廃墟は、訓練された眼が作りあげるものだ。街はたしかに、朝の陽射しを浴びてここにある。けれどもそれと同時に、鋼鉄のレールは錆びた薄片となって剥げ落ち、数限りなく繰りかえされる秋の木の葉が、風に吹かれ、天に聳える高層ビル群のあばらを霞のようにすりぬけて舞い散り、崩れ落ちた煉瓦づくりの壁の上では、朝顔たちが、もつれあいながら蔓 をのばそうとしている。私はこれを以前、うち棄てられたメキシコの街のいくつかで眼にした――そこでは、幾世紀もの永い時が、深海の水を通してながめる奇妙に歪んだものごとの姿とともに、過去を波のようにゆらめかせている。大聖堂の階段をするする這いおりていく黒い蛇さえもが、考古学者の眼がもつ好奇にみちた遠近法のなかでは、過去と未来を等しく溶けあわせて導きだすことの可能な、ひとつの反復のすがたに映る。」(Eiseley. "The Night Country." 1971. 拙訳)
古さびた一本の骨の化石は、眼の前にあり、手を触れることもできる。けれども、そこに遺された事実――いのちは、数千、数万、数億年以上もの時を超え、計り知ることができないほどに多様な姿へと変化をつづけていく形態の連なりとして、過去と未来に向けて果てしなく、曼荼羅状にひろがっている。僕たち自身も当然、その化石となんら変わりはない。僕たちはその曼荼羅につらなる、変化して止まない姿と姿をつなぐかぼそい生命の糸だ。ここには〈物語〉の重力が囚えることのできない、今といういのちの実感がある。当時の僕にとって、これほど確かに示された感覚の作法はなかったのだと、今になって振り返ってみると十分に分かる。
そして、この実感からみちびきだされるところの重力、〈物語〉の本来のすがたは、単に「通時的な」意味をもつものではない。僕たち自身のいのち、ものごとのうごきである〈魂〉のかたちは、過去から現在を経由して未来へと到る、もはや変えることのできない、のがれ難い一連の出来事であるかのように並置され、固定された、単に通時的な因果を超えたところにある「可能性の複合体」であり、時間という次元に囚われることのない、同時浸透的な、共時的なものとしても存在している。
一つの〈物語〉は、描かれることのなかったいくつもの物語、いくつもの因果の可能性を孕む、曼荼羅状のひろがりとして「ある」。けれどもそれは仮想的なすがたであり、可能性は、単に可能性のままではほんとうの意味で「ある」ことができない。だからこそ自然は、ただ在るのではない。自ずから在る、自ずからなる意志をもった、僕やあなたという実体として、自然はここに存在する。そうして仮想的な〈物語〉が開かれた時、その重力は本来の姿へと還り、通時的な因果を生きる僕たちに、いのちそのものの姿を指し示して見せるだろう。
「人間の眼が初めてデボン紀の砂岩のなかに一枚の薄片を見かけ、困惑した指先をのばしてそれに触れた時から、人の心に悲しみが覆いかぶさりはじめた。時間のなかを逆行してのびゆく生きた原形質のこのかぼそい糸によって、私たちは失われた幾つもの浜辺に永遠に結びつけられている。その浜辺に打ち寄せた砂粒たちが固まり、石と化してしまってからもう久しい。星々は私たちの盲いた両生類の眼差しをとらえたまま、その軌道の遥かとおくへと移ろい、消えてしまった。けれどもその裸の、濡れそぼつ糸のきらめきはまだ、時の前方へと曲がりくねって続いている。誰もその始まりと終りの秘密を知らない。形態はどれも幻のようなものだ。その糸だけが本当のものだ。その糸が生命 だ。」(Eiseley. "The Firmament of Time." 1960. 拙訳)
事物は常に変化をつづけており、固定することができない。固定化されたものごとの姿はある種の錯覚、虚像であり、どれもが幻のようなものだ。こうして方位を示された僕は、
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