Homo rehabilis【1】あした の旅


 ある夏の日の夜明けのことだ。
 その時分、たしかな生の実感をもとめる、ぶざまで氣儘な野宿の旅の途上にあった私は、山深い村のをながれる小川のほとりで、寝袋につつまれて眠っていた。寝袋は夜露にしめっていたが、いつしか野宿がなれっこになってしまっていた私は、静かな閑村のはずれの、ささやかな異物としての穏やかさのなかに、旅そのものの居心地の良さをおぼえてか、夢見ることもわすれ、ただただからだの休まるにまかせていた。その夏の日の夜明けの、ほんのひと時のうちに、私にとって生涯忘れえぬだろう出来事がおこる。
 それ・・は、朝の光がしらじらと目蓋をたたくおとずれの手前の、夜といううずたかくつもる雪にも似た過去の世界が、いつしか消えはてて行くそのつらなりのさなかに、始まっていた。
 

  繊細の精神



 けれどもわたしたちは、その朝へと到るための廻り道を要する。 
 誰もが自己の本質にもつ、たしかな生の実感をもとめて、意識の深い領域を旅したひとりの人物、アンリ=ルイ・ベルクソン(Henri-Louis Bergson, 1859-1941)は、その処女論考『意識に直接与えられているものについての試論』(L'Essai sur les données immédiates de la conscience, 1889)のなかで次のように述べた。「自由に行動するとは、自己を取り戻すことであり、純粋持続の中にわが身を置き直すことである」と。ここでいう〈純粋持続 durée pure〉あるいは文中において用いられた別の表現〈真の持続 durée réelle〉とは、どのような様態を表すことばなのか。

「まったく純粋な持続とは、自己が自らを生かし、現在の状態とそれに先行する諸状態とのあいだに分離を設けることを差しひかえる場合に、わたしたちの意識が継続してかたちづくる姿である。」(Bergson, Henri-Louis. “L' Essai sur les données immédiates de la conscience.” 拙訳)

 だからこそ私は、私の過去をここに書き記すために、今の私とそれ以前のわたしたちとの分離を差しひかえる。それはつまり、ベルクソンの言う「自己を取り戻すこと」だが、取り戻すべき自己とは何だろうか。自分という人格をかたちづくる「わたし」は、ほんらい一つのものだ。けれどもわたしたちは便宜のために、心のなかの仮想空間にその「わたし」を投影し、そこにうつしだされた影に権限を与えることで「根本的な自己」と「表層的な自己」とに分離された二重の現実を生きているのだ、とベルクソンは考える。彼はここで「自己」と訳されているものを、ただ一つの「moiモワ」という語で書き表した。それは英語の「me」であり、通例は学術用語として自己や自我に訳し分けられているが、どちらかといえば「自分」ということばのニュアンスに近い。わたしたちはこれから、その「根本的な自分を再発見する」ために、心の仮想空間に凝固してしまった影の幻像イメージを認識し、そこに生じた錯誤を深く捉えなおし、解消していくことにしたい。
 まったく純粋な持続、自己が自らを生かしている状態とは、途切れることなく持続する時間のなかでただあるがままに在ることを意味してはいない。幾何学的な幻像である表層的な自己は、流れるようになめらかな印象を与える運動をわたしたちに指示する。それはあたかも自由な感性の発露であるかのように、心の仮想空間に映し出される。だからこそ人の想いえがく自由は逆説的に不自由な自動運動であることが多い。ベルクソンは「自由」であることと「自動的」であることを、次のように分けて考えてみせる。
 わたしたちは何かに刺激され、刺激のままに従おうとする。そうした運動がはじまりつつある時、そのうごきは慣性の延長、あるがままの「自動的」な軌道として、現在の状態のなかに描き出される。意識に直接与えられているものである感覚は、そのようなうごきを「意志を欠いた」ものとしてわたしたちに意識させ、惰性的なうごきと「他の可能な運動とのあいだでの選択を行うようにうながす」ものであり、そこにこそ感覚の存在理由としての「自由のはじまり」がある、と言う。
 にもかかわらずわたしたちは、感覚の存在理由を見失い、意志のない自動人形に自らを仕立ててあるがままのながれに身をまかせた道を歩んできた。そこには数と空間、時間というものに関する、奇妙な錯覚の迷宮がある。その迷宮を意識することのできた人であっても、惰性を抜けた意志のあるうごきに身を投じることはまれだ。奇妙なことだが、錯覚の迷宮において人は「自由」を求め、自ら望んで自動人形になる。

「自由な行為とは、自己を観察し、自分が何をしているかについて筋道を立てて考えるのにきわめて慣れた人々の場合でさえも、まれなものだ。〔・・・〕わたしたちの日々の行動は、限りなく動く感情そのものより、それらの感情が固執する不変のイメージによってはるかに影響される。〔・・・〕私の人格がそれに興味を抱かなくても、行為は印象に従う。ここでは私は意識のある自動人形であり、そうあることがまったく有利に思えるので自動人形になっているわけだ。」(Bergson. “L' Essai sur les données immédiates de la conscience.” 拙訳)

 わたしたちの意識生活は、数の概念とユークリッド幾何学、等質的空間の観念に依存した、並置的な、物事を図式化してとらえようとする思考から容易にはのがれることができない。ベルクソンは言う、「数についてのあらゆるはっきりした観念は空間の中の視覚像ヴィジョンを含んでいる」と。日常的な表層意識は、あらゆる事物を、意識によってつくりだされた仮想的な等質空間に浮かぶ幾何学的な像として把える。ベルクソンはこのような認識を、「質」と「量」とを明確に区別することなく事象を数的にあつかうことから生じた誤った翻訳、錯覚であると看做みなした。
 事物、とりわけ時間について考えをめぐらす際にさえ、わたしたちはそれを幾何学空間の中に展開させ、過去・現在・未来というある種の「ひろがり」をもったイメージとして並置し、等質なものとして扱う。そこでは必然的に、ものごと本来の「質」は相対化され、事象の「量」が問題とされる。こうして時間は、意識に直接与えられているものである感覚、質的多様性のもつ特色としての微妙な差異を失い、意志の欠けた実在性のない空虚な「空間の亡霊」となるのだ、と言う。
 ここでいう「質 qualité」とは性質、特色、本質といった、ある事象がまさにそれ自体であることを特定することのできる要素を表し、「量 quantité」は数量、分量といった、その事象がまさに何であるかという実質はぬきに、等質的に扱うことで計測を可能とする概念的な要素を表している。「質」をものごとの良し悪しを判断するための基準として扱う「品質=価値」の用法に、量が質を侵食し、良し悪しの本質を見失わせることになる錯誤の、顕著な例を見ることもできるだろう。
 ベルクソンは「質」を空間的に分断することのできない「つながり」を表す「持続 durée」という語で、「量」を仮想的な等質空間における「ひろがり」を表す「延長 étendue」という語によって説明する。彼のいう延長を、英語で「ひろがり」をも意味する「mass」と関連させて考えれば、それは「質量 mass」であり、質を量に誤って翻訳したことでたちあらわれる錯覚とは、すべての事物を等質的な空間エネルギーに換算していく、意識の自動運動のことだと言いうるだろう。
 質量(空間的なエネルギー)はたしかに計測できるが、それは計測したことによって生じる仮想的な数値であり、計測する前には不確かなさまでしか存在しない。実質にみちた時間のなかでは、すべては純粋に持続していて、その本質的なすがたをはかり知ることはできない。それはつまり、量子物理学の言に依れば、「状態は確率でしか表現されえず、むしろさまざまな状態の重ね合わせである」ということだろうか。
 ドイツの理論物理学者ハイゼンベルクは、「不確定性原理 Uncertainty principle」によって、眼にみえない微粒子の世界は等質的空間を前提とした幾何学的な観測を拒むことを示した。手の指で数をかぞえることから現代の電子機器のしくみにいたるまで、事物を数量化して演算する手法を「デジタル digital」と呼ぶが、そのようにして「量子化」された事物の姿はあくまで仮想的なものであり、情報量をどこまで増していっても事物本来のありさまとは誤差を生じる。量子化による誤差は通例、擬似的に補正されてなめらかな曲線をえがくが、その曲線はあくまで仮想的なものであり、事物の本質的な状態とは異なる。その誤差の存在を忘れてしまった時、わたしたちは錯覚の迷宮に自らを迷いこませることになるのだ。ハイゼンベルクと同時代に量子論の発展に寄与したフランス人ドゥ・ブロイは、その著作『物質と光』(Matiére et lumiére, 1938)の中で不確定性原理について言及し、こう記している。

「〔粒子の〕位置を厳密に決定しようとすればするほど、運動状態はますます不確定になる。また逆に粒子の運動状態が明確にきまるほど、〔・・・〕粒子の位置は確定的に計算することが出来なくなる。」(『物質と光』ルイ・ドゥ・ブロイ/河野与一訳/岩波文庫)

 人の感覚と微粒子とは似かよった性質を有している。けれどもそれがどれほどの意味を含むものであるのか、たしかなことは何も分からない。ただ、微粒子という不可視のものに対するとき、理論物理学者たちがあらわにする〈繊細の精神 Esprit de finésse〉を、わたしたちもまた、眼にはみえない感覚の領域、意識に直接与えられているものを観じる際に、心にとどめておきたい。
 感覚とは、数や言語の枠に収まりきることのない、無量のものである。この「無量」ということばは、計り知れない、はてしない、といった意をもつ梵語「amita」あるいは「amida」の漢訳であり、仏典における阿弥陀の名号はその音に当て字がなされたもので、「幸あるところの美しい光景」をあらわす、という。そうした感覚の世界をはかり知ろうと、等質的な仮想空間に投影したとたんに、その試みは感覚そのものに影響を及ぼし、まったく別の新しい形を付与してしまうだろう。
 わたしたちの感覚、感情や観念というものは、互いに互いを浸食しあいながら、それぞれがそれぞれに異質なものとしてどれもが等しく心の全体を占めている。ベルクソンは「意識に直接与えられているもの」をそうした、わかちがたいいのちの響きあう交感、異質なものの多様性が等しく一つの世界そのものとして互いを孕みあう交響楽として把えた。それは、空間ならざる光景にひびかう、無量の音の〈重ね合わせ〉であると共に、多様なものが等しく一つの環境として持続していく、実質的な差異にみちた心の森の〈生態系〉でもある。
 まったく純粋な持続のなかにある状態とは、そうした無量の感覚がもつ相互の関係性を把えなおすことであり、わたしたちは意識に直接与えられた、あらゆるもののありさまを正しく認識することによって、自らの意志をここに呼び覚ましていく必要があるのだ。(ベルクソンは、冒頭に引用した〈純粋持続〉に関する文章を、次のように書き継いでいく、)「そのためには、移り行く感覚や観念の中に全面的に没入する必要はない。なぜならそのような場合には、反対に、自己は持続することをやめてしまうはずだからだ。けれどもまた、先行する諸状態を忘れてしまう必要もない。これらの諸状態を思い出す際には、自己はそれを現在の状態に、一つの点を他の点に並置するようなぐあいに並置することなく、あるメロディーの構成音をいわば一体となって融合したまま思い起こすときのように、先行する諸状態と現在の状態とを有機化すれば十分である。〔・・・〕こうした音の全体は、身体各部に区別はありながら、部分が互いにわかちがたく結びつく効果そのものによって浸透し合っている、ひとつの生き物にもなぞらえうる」。


  呼応する生



 それ・・は風の音かとおもった。
 たしかに、風にゆれる梢が触れあうときの囁くような、乾いた音色も、そこにはあった。しかしそのとき、わたしの心がこたえようとしているものは「それではない」と、わたしの耳がわたしに注意を呼びかけていた。わたしはその呼びかけにこたえて、彼にわたしの意識すべてをゆだねた。そのときのわたしにはそれができた。なぜだかはわからない。
「だれかがだれかを呼んでいる」と、わたしの耳がしらせた。
 わたしの意識はそれが虫のであることをわたしの耳に告げた。わたしの耳もわたしも、その声の主がなんという名をもつかは知らなかった。けれどもそれは、いまは問題ではなかった。耳はゆっくりと波長を聴きわけた。そうこうしているうち、また別のだれかがだれかを呼んでいることに、彼は氣づいた。
「鳥の声がきこえる、そうしてまた、鳥の声が。」
 ふたつの声は呼びあっていることを、その波長から聴きわけた耳がわたしに教えた。そのあいだにも、まただれかがだれかを呼び、それに応える声がして。もうわたしの耳には、ひとつひとつの音を聴きわけることなどできないほどにたくさんの、虫のが、鳥の声が、それぞれの音のニュアンスのなかで何かを伝えようとして、だからもはや聴きわけるまでもなくあまりにたくさんのそれぞれの音が、それぞれの時間の波のなかで生まれては消えて行く。すべての音は固有の時間のなかにはじまり、固有の時間のなかで終わる。けれど呼び合いが終わることはないのではないかと思われて来るほどたくさんの呼応に、わたしは時間という不可思議な感覚が、はてしなく行きつ戻りつする位相が互いに呼びあっていて、わたしはただ、それ・・をだれかにわたそうと欲して、わたして、そしてわたされて、わたして、わたされて、そしてわたして・・・・・・なにがわたしに、そして虫たちに、鳥たちにそうさせようとしているのだろう?
 わたしの意識は、そのときひとつのことばとしてそれ・・をわたしに伝えようとしていた。あの雀は、愛そうとするがゆえの雀に呼びかけ、彼の雀も、愛そうとするがゆえにからだをふるわせて応えた。すべての呼応が、〈愛の呼応〉となっていま・ここを産みだそうと、ふるえていた。そしてわたしがいま・ここにいるのだとしたら、その愛はわたされ、わたされることから「わたし」は産みおとされつづけていく。わたしがわたしに、「わたし」はそうして産まれてきたのだと伝える。その呼びかけに応えて、わたしはわたしを、かずかぎりなく思い出しつづけていく。かずかぎりなくきこえる鳥の声が、かずかぎりなくきこえた鳥の声を呼び覚まし、想い起こしつづけながら、「わたし」をここに産みおとして、ふるえていた。
「風の音が、」と、わたしの耳がわたしを呼ぶ。
「あなたをいま、ここに呼んだのが、風の音だったことをわすれないで。あのときわたしが、『それではない』とあなたに言った言葉は、まちがいだったのかもしれない。どうしてわたしが、あの風の呼びかけに素直に応えてといわなかったのか、いまはもうわからない。けれども、わたしがあのときあなたにそう呼びかけなければ、あなたがいま、ここに来ることは、決してなかったのかもしれないのです。」
 だれかがわたしを呼んでいた。
 ひかえめなわたしの耳は語ることを辞めた。
 さっきからずっと、永いあいだ、わたしの目蓋を誰かがこつこつと叩いていたことを、わたしのふたつの目がそっと、教えてくれた。ほつほつとした光が、まぶたのむこうに感じられる。わたしは目を明けてみた。
 なにかが、ゆっくりとそのすがたを青空という〈世界〉にかえて、わたしをとらえた・・・・・・。
 今はもう、虫鳥の、愛の呼応の交響楽はいつか・どこかへきえはて、みみなれた蝉の声がそのなごりの遁走曲フーガを、粛々とかなでて行く。


  無量の旅



「例外的な時、あまりに神秘的なまでにも特権的な瞬間というものが存在する。」
 マフムード・サァディ、ピエール・ムシェ、マフムード・ワルド・アリー・・・・・・。いくつかの異名をなのって、十九世紀末のマグレブ――アラブ語で「日の沈む土地」を意味する、北西アフリカの辺境――を旅した奇妙なひとりの紀行作家は、読者の耳元で慇懃に語りはじめる。そうして、みずからが観じた光景をおもいおこそうとすることに戸惑う様子をみせながら、こう記していく。

「こうした束の間の瞬間において、細部は必然的にわたしたちから逃れ去る。わたしたちが観ることのできるものは、事の全体だけだ。〔・・・〕わたしたちの魂がもつある特定の状態、あるいは場所の特殊な様相というものは、いつでも無意識のまま、通りすがりにつかみとられるものなのだろうか?
 私にはわからない・・・・・・」(Eberhardt, Isabelle. “Écrits sur le sable” 拙訳)

 彼女はイザベル・エベラール(Isabelle Eberhardt)という名を与えられ、一八七七年、スイスのジュネーブに私生児として生まれた。「Eberhardt」は、ドイツ語よみではエーベルハルトとなるが、彼女の著作活動はフランス語圏であったとのことから、ここではエベラールと呼ぶことにする。
 彼女の二十七年という生涯は、その年表的な短さと、次々とあざやかに起こった出来事の濃密さにおいてひとびとの伝記趣味をそそるものであったが、わたしたちはここで、そうした「量」の話題へと這入りこんでしまう道すじを慎重に避けて通りながら、不可思議なほどまっすぐに進む彼女の旅程をたどって行きたい。
 一九七二年に出版された、彼女の遺稿集の英文訳『忘却を求める人』(The Oblivision Seekers―and other writings)に寄せた序文のなかで、彼女と同じく砂と空とをたたえたマグレブを、北アフリカのモロッコへと旅し、のちにの地で暮らしその生を終えることとなった米国の作家ポール・ボウルズ(Paul Bowles, 1910-1999)は、いくぶん断定的に過ぎるようにも思える筆致で、次のように述べている。

「彼女の人生はいきあたりばったりで、氣紛れに翻弄されているかに見える。けれども彼女の書いたものが、そうではないことを証明している。彼女は決定を下さず、行動を起こすよう強いられていたのだ。彼女の性質は、ただひとつのものを求める並はずれたひたむきさと、得ることの叶わぬものへの同じだけ力強い望郷の念とを兼ね備えていた。その目標は、何年もの時をかけて、単に脱出したいという想いからいつのまにか完全な自由への執着に変じ、のちには精神的な智慧の探求として姿を現すことになった。」(Bowles, Paul. Preface for “The Oblivion Seekers and other writings”, 1975. 拙訳)

 それとは知らず彼女が執着したのだという、完全な自由についておもわんとするとき、わたしたちはベルクソンの〈真の持続 durée réelle〉ということばに、再び呼び止められることとなる。彼は〈純粋持続〉ということばと〈真の持続〉ということばを、時によって使い分けているが、それぞれの語がもつニュアンスの違いは明言されていない。
 完全な、真の、といった語を口にしてみたとき、私はいつでもある種のおちつかなさを覚える。この居心地のわるさはなんなのだろう、と私は考え、おそらくこれらの語が、数量的な視点からいえばゼロそのものの観念を内包しているのではないか、という直観をかんじる。つまり、幾何学的等質空間のなかでは原点オーとして座標軸の中心に存在しているゼロという数字が、ひとたび〈純粋持続〉のさなかへと意識をみちびこうとする際には、その〈居場所トポス〉を喪ってしまうという確信的なおそれを、わたしたちが無意識に悟ることによって違和感を覚えるのではないだろうか、と、私はここで仮定してみる。
「彼女は自分が求めるものが決して手の届かないものだということを知っていた。そこに彼女の賢さがあった。」ボウルズはエベラールをこう評した。
 けれども彼も彼女も、自分自身ではない何かに行動を強いられたまま、エドガー・アラン・ポーのいう「いまだかつて誰一人、あえて夢見ることのない、死すべき者が夢見ることの叶わない夢を見ること(dreaming dreams no mortal has ever dared to dream before)」(Poe, Edgar Allan. "The Raven", 1845.)を、どこまでも遠く、ここではないどこかの彼方に、求めつづけていたようにも思える。彼らが彼方に追い求めたそれが、彼らをその行動へとせき立てていった「何か」であり、それはある時には絶望と呼ばれ、ある時には希望と呼ばれることもあった夢だ。

「希望をあれほど強いものにしているのは、わたしたちが思いのままにする未来が、等しく微笑ましく、等しく実現可能な、さまざまな形のもとに同時にあらわれるからである。たとえそれらのうちで最も望まれていたものが実現されるにしても、残りのものは犠牲にされねばならず、多くは失われてしまうことになるだろう。無限の可能性でふくれ上がった未来の観念は、未来そのものよりも充実感があり、だからこそわたしたちは、所有よりも希望に、現実よりも夢に、より多くの魅力を覚える。」(Bergson. “L' Essai sur les données immédiates de la conscience.” 拙訳)

 こうして無限に分岐していく可能性として空間的に描きだされた「未来の観念」は、仮想的なもの、夢見ることの叶わない夢であり、本質的な意味での、非空間的なものである時間のなかには実在しない。時間はどこまでも無限に分岐していく空間的なひろがりではなく、計り知ることのできない無量の純粋な質感として在る。ベルクソンは彼自身の実感をとおして、「無限の可能性」という無機質な分岐の不在を、次のようなことばで端的に言いあらわす。

「私は二つの可能な行動XとYとの間でためらっていて、一方から他方へとかわるがわる移るとする。〔・・・〕常識は、〔・・・〕意識事象の一系列MOを通過した後、点Oに達し、等しく開いたOXとOYという二つの方向を前にしている自己を思いうかべる。〔・・・〕この図形は果たされつつある行動ではなく、果たされた行動を示している。だからMOという道を通過し、Xの方に決めたとき、自己はYを選ぶことができなかったのか、などと問わないでほしい。そんな問いには意味がない、と私は答えるだろう。なぜならMOという線も、Oという点も、OXという道も、OYという方向も存在しないのだから。〔・・・〕自由は行動そのもののあるニュアンス、あるいは質の中に求められるべきもので、この行為と、この行為ではないもの、あるいはこの行為がなりえたかもしれなかったものとの関係の中に求められるべきではない。」(Bergson. “L' Essai sur les données immédiates de la conscience.” 拙訳)

 持続していく時間のなかには、空間的な分岐を孕む原点Oは存在しない。現在とは、自らの意志がえらびだした未来を原因として存在する結果であり、意志によって方向づけられた未来への持続として、現在は存在している。ベルクソンは常識的な認識に反して、時間というものをこのように把えた。選択肢はたしかにあるが、意志によって行われた選択は分岐の幻像を派生させない。そこには「意志 will」とは何かという、根源的な問いが含まれている。
 一八九九年八月三日の午後七時、イザベル・エベラールはアルジェリアのスーフ地方にある町、エル・ウェードに到着し、その夕刻の「過酷で華麗な」砂漠の景色を、冒頭に引用した特権的な瞬間、ひとつの決定的な啓示として受けとったことを、「砂の国にて」と題された小さな旅行記に綴る。
 その啓示の二年前、一八九七年に、エベラールはアルジェリアで正式にイスラム教に改宗している。イスラム教徒としての彼女は、思いがけない幸運も不幸も、「何事も、時の始めに運命として書き記されている」という教えに従い、共に淡々と受け入れた、とボウルズは記した。彼女のえらんだその教えに、自由はあったのだろうか。意志と自由、運命という観念のすべてが、彼女が行う一瞬の選択のさなかに、「過酷で華麗な」すがたをとって凝縮される。
 彼女の書き記したまっすぐな道は、ベルクソンの言う〈純粋持続〉、未来を原因として存在する結果としての現在、そのものの姿を、たしかに差し示している。彼女は、決定的な啓示の時にむけて歩みつづけた。彼女が歩みつづけることによって、啓示の時はまさに決定的なものとなった。それは彼女の意志の軌跡なのか、存在しないはずの運命が指し示した、夢の幾何学が描く軌道だったのだろうか。「私にはわからない」という彼女のことばが、彼女の意志を、そしてわたしたちを、ぎりぎりのところで今につなぎとめる。
 運命を語る者(「決定論者」)と、完全な自由を崇める者(「自由の擁護者」)との夢想主義的な、ノスタルジックな認識をしりぞけながら慎重にことばを継いでいったベルクソンにとって、〈純粋持続〉の直観とは、いま・ここにあることの意志それ自体が自由そのものであるという、直接的認識をその根とした素朴な生の解釈であった。自由とは、二度と再現されるはずのない、ただ一度きりの独自な瞬間であり、それはあらゆる定義を拒むものであるがゆえに、あらゆる決定論、運命が描く夢の幾何学は、その時にこそまさに消滅する。にもかかわらず彼もまた、真の自由を求める旅人のひとりだ。

「わたしたちの性格は毎日しらぬ間に変化するため、もしもこのように日々新たに獲得されるものが、自己の上に寄生するだけで溶けこまないのであれば、わたしたちの自由は損なわれてしまうだろう。しかしながら、このような融合が行なわれるとすれば、わたしたちの性格に生ずる変化はまぎれもなく自分のものであり、わたしたちはそれを自分のものにした、と言うべきだろう。要するに、自己から、そして自己のみから発するすべての行為を自由と呼ぶことに同意するなら、わたしたちの人格のしるしを身につけている行為は、真に自由である。」(Bergson. “L' Essai sur les données immédiates de la conscience.” 拙訳)

 わたしたちの自己が、自分というものだけによって完全に成り立つのであれば、自由に関するベルクソンのこの定義は成り立つ。けれどもやはり自由を定義することはかなわず、だからこそわたしたち自身の「人格」をなしているのは、必ずしも自分のみではない。一人のひとは一つの〈生態系〉をかたちづくる、実質的な差異にみちた持続する多様性であり、「人格のしるし」は行為の自由を権威づけることはできても、自由の自由を証明することはできないだろう。そこには自由の不自由、自分ならざる自分が生じる。それは架空の原点Oであり、実在しない。どんなしるしを身につけていても、真の自由を証明することはできない。
 完全な、真の、ということばの描像から夢のようにたちあらわれようとする原点Oの幻――ゼロの観念とは、〈無・場所ウ・トポス〉、つまり仮想的な等質空間のなかだけに見出しうる〈無何有郷ユートピア〉であって、それはその語そのものが示しているように、いま・ここには存在しない。

ひとたびも 南無阿弥陀佛と いふ人の
はちす[蓮]の上に のぼらぬはなし

という和歌を書きつけた立札を、平安京のはずれの土に突きさして、洛中を歓喜雀躍しながらへめぐったとわれる、伝説上の市聖いちのひじり空也は、その伝説を超えたところにある実感の地平で、経文の画きだす荘厳な楽土への来世の成仏ではなく、市井しせいの生活に在りながら、ひとたび阿弥陀の名号があらわすという「幸あるところの美しい光景」、いいかえるならば〈純粋持続〉のさなかへと意識をみちびこうとする心がありさえすれば、生そのものが楽土、自由である、という〈観無量〉の感覚のなかを生きたのではないだろうか、と私にはおもわれてならない。
 誰もが自己の本質にもつ、たしかな生の実感としての自由は、まさにそれそのものであろうとする意志によって生まれる、一度きりの行為のなかで「いま・ここを産みだしているもの」であり、それは再現不能なものであるから数量化できず、自ら体現することによってのみ辛うじて実在が証明されるものだ。楽土はつかみとることのできたまさにその時、はらはらと砂のように手からこぼれはじめる。
 あの神秘的なまでにも特権的な瞬間――啓示の時から一年を経た一九〇〇年、エベラールは遍歴のはてに再びエル・ウェードの地を蹈む。待ちのぞんだ二度目の滞在は、彼女が「できればそこを故国にまでしたいと思った」ほどの、夢のような至福の時をもたらした。けれども、翌年に起こったある事件がきっかけとなり、彼女は彼女の辿り着いた夢の祖国、約束の地から追放される。「わたしたちはすぐに戻って来て、今度はもう決してこの地を離れないのよ」と書き記したそのエル・ウェードに、彼女は二度と還り着くことがなかった。そして彼女は恋人とともに、この追放を逃れがたい出来事として事前に予感していたことを、次のような筆致で記している。

「わたしたちは強くそれを予知して、子どものように泣いた。すべての哀しみのすがた! 突然の共通の直観の下で、数ヶ月後にわたしたちを呑み込んでしまったすべての不幸を・・・・・・ああ、ここに、わたしたち人の予知というもの、こうした漠とした予感の計り知ることのできぬ神秘がある。何ら実際的でつじつまの合う根拠はないのに、にもかかわらず決してわたしたちを欺くことのないもの!・・・・・・」(Eberhardt. “Écrits sur le sable.” 拙訳)

 彼女の予知した「運命」は「時の始めに書き記されていた」ことだったのか、あるいはむしろ、彼女がそれを「運命」として受け入れたまさにその時、それは「時の始めに書き記されていた」ものとなったのではないだろうか。彼女の書き記した道はここでも、ベルクソンの言う〈純粋持続〉、未来を原因として存在する結果としての現在、そして過去というもののすがたを、たしかに差し示してみせる。
 
「彼は幸福へ、少なくとも彼がそう信じた方へ、そして私は自らの運命の方へ出発した。
 今、私はそこを立ち去り、私の魂がふたたび健康を取り戻し、すべての喜び、目と夢の、すべての繊細な官能へと素朴に開かれているのを感じる。」(Eberhardt. “Écrits sur le sable.” 拙訳)

 彼女はある漠然とした印象を「運命」としてえらび、歩みはじめた。彼女が歩みはじめたことで、漠然とした印象にすぎなかったものは「時の始めに書き記されていた」ものへと変容していく。未来はそうして過去の原因となる。けれども彼女に漠とした印象をもたらし、架空の運命を創り出そうとした何かは、いったい何だったのか? 彼女は死の間際に、次のようなことばでそれを書き記した。

「私の中で語っているもの、私を不安にさせ、明日にはふたたび私を生の途上へと押しだすもの、それは私の魂の最も賢明な声ではなく、煽動する精神なのだ。彼にとってこの大地はあまりにも狭い。彼は自分自身のうちに、彼の宇宙を見い出すことができなかった。」(Eberhardt. “Écrits sur le sable.” 拙訳)

 わたしたちのからだの中には、奇妙な「煽動する精神(もしくは精霊)」(esprit d'agitation)が宿っている。あるいはそれを「夢」と呼んでみても良い。夢はわたしたちのからだのなかに実在する。夢は夢自身のうちには、夢を満たす宇宙の「ひろがり」を見い出すことができない。夢は夢自身の陥った錯誤のなかで、あるはずのない無限の「ひろがり」を求める。だからこそそれはわたしたちを、彼女を惑わせ、真の、完全な自由――ゼロの観念へと人を駆りたてていく。
 生者にとってゼロの観念とは、死と切り離すことができないものだ。「決して手の届かないもの」と知りながらも、完全な自由を欲したエベラールは、一九〇四年、れ川のとつぜんの洪水にのみこまれて、瓦礫におしつぶされた彼女のからだと心とは、書き溜めていた原稿とともに、マグレブの砂の大地へと散逸してしまった。彼女が生涯を賭けて追い求めたものに、彼女は辿り着くことができたのだろうか。私にはわからない。けれども私は、彼女とおなじく、たしかな生の実感をもとめる旅人のひとりとして、彼女が彼女自身の本質に辿り着いただろうことを、ここに願う者だ。願いは叶い、そしてやってくる。
「あのような時、あのような陶酔は、ただ一度だけ、またとない巡り合わせで感じられた、決して再び見い出されることのないだろうもの・・・・・・」


  彼方から来る声



 なおも蝉が鳴いている、私の耳の中では。
 今ではもう、遠い昔のこと、そのときの私は、都心の環状鉄道線のかたわらにあるちいさな公園のなかの、背のひくいコンクリート塀に腰をおろして煙草を喫っていた。深夜のことだったが、アブラゼミは列車の轟音にまけじと喧騒やかましく声をはりあげている。その夏も、数年にいちどのアブラゼミが大発生する年にあたっていたらしい。こんな夜中に・・・・・・と私は心の中でつぶやきかけて辞めた。
 私はコンクリート塀の上に横になった。みあげれば空は、いつものむらさき色だ。彼らもきっと私とおなじように、この電光の街のなかで体内時計がイカレてしまっているのだろう。こうも明るくては誰も彼も、夜を忘れてしまう。
 不意にだれかの足音がして、私は身をおこした。
「今晩は」と男が言い、私の数歩前で足を停めた。「これからお仕事ですか?」
 いっしゅん意味がわからなかった。
 ふと、ある早朝に、この公園のちかくに路上生活者ホームレスが集まって静かにことばを交していた光景を思い出した。彼らはそこから車に乗せられて、どこかへ働きにいくらしい、と知人から話に聞いていた。いま思えば彼らの仕事は、都会の電光をきらめかせつづけ、空をむらさき色に染めるための、遠い海辺に建てられた原子力発電所の作業員だったのかもしれない。けれどもこの時の私は、そんな仕事があるのだということは何も知らない。
「いえ、仕事から帰る途中です。」と、私は声を返した。
 その男性は、そうですか、お疲れさまですね、こんな時間まで、などと話しながら、公園の、ところどころの生け垣にゆらゆらと視線をなげかけている。街の空氣が、朝がちかづいていることを私に知らせていた。
「毎朝のランニングですか?」と、私は尋ねてみた。
 男は、彼自身なにかの秘密ででもあるかのような表情をしていた。
「つめたくなってないかどうかね、確かめてまわってるんですよ。」
「?」
「こうやって」と、男はじぶんの額に手のひらをあてた。「つめたくなってないか、あの人たちが。」
 その瞬間、私は夜のさなかへときもどされた。
 つめたくなったひとりの路上生活者ホームレスの、死んだひたいの肉の感触をてのひらに憶えて、私は、みぶるいした。
 まだ、ほんとうに私が幼かったころ、郊外の集合団地の最上階に住んでいた私――ぼくは、ひとつ下の階に住んでいたおじさんが、ある日亡くなってしまったことを、いまもおもいだす。集会所で行われた葬儀につれて行かれたぼくは、しろいはなにかこまれて箱のなかでめをつむっているおじさんを奇妙なおもいでみつめていた。なんだかぼくにはうつくしくも思えた。涙はながれなかった。そのころのぼくのむねには、まだ死という観念はうまれていなかったのではないかと今ではおもう。
 僕が二十一のとしの秋に、僕を可愛がっていてくれた飲み屋のママが癌で亡くなった。齢のはなれた彼女の死にがおは、やはりうつくしかったけれど、僕は声をおし殺して泣いていた。悲しくてしかたがなかった。おじさんもぼくをかわいがっていてくれたし、僕はそれをいま、ほのかにおもい出すことすらできる。ならば僕のなかで、なにが移りかわって行ったのだろう。
 現在いまを生きるこのときの僕のなかでは、ふたつの感情が渦をまいていま・ここからいつか・どこかへと、つれて行こうとしていた。流転するいま・ここのながれのなかには、なにひとつ終わったりはじまったりするようなものは見い出すことができない、という、生き死にへの無頓着なおおらかさと、生者にとってのいつか・どこか、それはゼロの観念にも似た、おごそかな終焉が胸にいだかせる奇妙ににんげんてきな悲しみのすべてが、夜に棲むぼくをあしたの朝日に、かろうじてつなぎとめる。ぼくはいったい、どこに辿り着くことができるのだろう。

「等質的で空虚な媒体という考え方は、並はずれて異なる何かであり、わたしたちの経験の基礎そのものをなしているこの異質性に対して、一種の反作用を要請するように思える。〔・・・〕 わたしたちは、質のない空間を知覚または想像する特別な能力を持っている。〔・・・〕異なった秩序に属する二つの現実、一つは異質的で、感性的質である現実、今一つは等質的で、空間に他ならぬ現実を知っている。人の知性によって明らかに理解される後者の現実が、はっきりとした区別を行なうこと、数えること、抽象すること、そしておそらくはまた話すことをも可能にしているのだ。」(Bergson. “L' Essai sur les données immédiates de la conscience.” 拙訳)

 公園の男性は会釈して、僕のまえを離れた。目でその姿を追うと、彼は、ゆっくりと木々のあいだの草叢くさむらの中へ踏み込んでいった――彼もまた、ベルクソンのように、二つの現実を往き来する旅人だったのかもしれない。彼は僕に話しかけ、だからこそ僕はこうして、あなたに話しかけることができる。僕のことばがあなたに届くのであれば、世界は一つだ。
 だからこそ僕らの旅は、ゆっくりとつづいて行く。
 いまという旅のみちゆきを行くときには、僕たちはだれもが〈無・場所ホーム・レス〉だ。僕はずっとそう、思っていた。けれどもそれは、本当にそうだろうか? 僕ひとりの感覚はたしかに、時間という、空間ならざる光景のさなかに響きわたる。けれども、誰かが僕のまえにいて、存在同士の感覚が重なりあうところに、非等質な空間としての〈場所ホーム〉がたち顕れることも、あったのではないだろうか。
 今はまだ、それほど遠い昔ではないある時、僕はひとりの男性に出逢ったことを、思い出すことができる。彼はそこでひとりの孤独な旅人として、ほんとうに帰り着くべき場所をもとめ、この国の北の、最果ての海に面した荒れ野で、家も無く、ただその風景だけを眺めて過ごした青年の時を、僕に訥々と話して聴かせた。
 彼の話は、その話の描きだす光景をこえた何かを、僕の心に想起させた。
 だからこそ僕はいつでも、その光景の彼方を思い出すことができる。
 僕の見たその〈光景の彼方〉を、彼も見ることができただろうか。そのときぼくの目の前で生のみちゆきをつづけていた、そのもの乞食のようなすがたをした彼は、場所を無くした、永遠の旅人だっただろうか? そして僕自身は? 耳元でそっと、そう問いかけては消えゆく、遠い時間の彼方からくる誰かの声に、僕はなんどかたち止まってふりむき、その旅の朝の、ぼく自身のひたいに手のひらをあてて、つめたくなっていないかどうか、たしかめてみたくなるのである。

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